2025年、日本は「敗戦から80年」という歴史的な節目を迎えました。
こうした中で、富山県を起点に、地方から見た戦争の記憶を未来へとつなぐ1冊「敗戦八〇年 富山の記憶 地方から戦争を問いつづける」が出版されました。
この書籍は、戦争の悲惨さを「終戦」や「戦後」という言葉ではなく、あえて「敗戦」という表現で語ることにより、戦争の本質とリアルをあらためて問う内容となっています。
「終戦」ではなく「敗戦」:タイトルに込められた想い
「終戦」では戦争が美化される、だからこそ「敗戦」と呼ぶ。
書籍の出版発表会では、6人の著者を代表して登壇したジャーナリスト・向井嘉之氏は、タイトルに込めた強いメッセージを語りました。
「終戦」や「戦後」という言葉は、日本が被害者として語られがちな表現です。
しかし、「敗戦」とすることで、日本が加害者でもあった戦争の実態、そしてそこから目を背けてはならない教訓がより明確になります。
「敗戦80年」という言葉自体が、歴史と向き合う第一歩なのです。

戦争の記憶を地方から発信:富山という土地の意味
大都市ではなく、地方都市・富山。
その選択には深い意味があります。
富山県は、1945年の富山大空襲により大きな被害を受けました。
市街地の99.5%が焼失し、多くの市民の命が奪われました。
また、書籍には戦時下の生活や疎開、物資不足、空襲警報の日常化など、都会とは異なる戦争体験が数多く記録されています。
地方での戦争体験は、全国的には語られにくいものですが、1人1人の暮らしの中にこそ「戦争のリアル」があると書籍は教えてくれます。
個人の体験が伝える戦争のリアリティ
著者の一人であり、元・射水市中央図書館館長の萩野恭一氏は、敗戦後に満州から引き揚げてきた母親の壮絶な体験を記しています。
幼い兄弟を連れ、命からがら帰国した母の話は、現在の私たちからは想像できないほど過酷な現実です。
このような「個人の記憶」は、資料や年表では決して伝えられない、人間の「感情」や「苦しみ」を伝える大切な証言となっています。
戦争を「数字」や「事件」としてではなく、「人間の物語」として語り継ぐ重要性を、この本は教えてくれます。
なぜ今読むべきか:世界の情勢と重なる「戦争の影」
世界では今も戦争が続いています。
だからこそ、日本が経験した戦争の記憶を風化させることなく、改めて見つめ直す必要があります。
「敗戦八〇年 富山の記憶」は、平和の大切さを再確認するうえで、私たちに「今こそ読むべき」意味を投げかけます。
「戦争は遠い過去の話ではない」。
それを地方からの視点で問い続けるこの本は、未来を担う世代への貴重な教材ともなるでしょう。
「敗戦八〇年 富山の記憶」の購入方法と詳細情報
「敗戦八〇年 富山の記憶」は、下記の方法で購入可能です。
・電話注文
・FAX注文
・メール注文
※詳細な連絡先や購入方法については、富山市内の書店、または関連団体・出版社への問い合わせが必要です。
今後オンライン注文が可能になる可能性もあるため、最新情報は公式発表をご確認ください。
ネット上での反応とレビュー
ネット上では、
・「戦争を『敗戦』として伝える意義がある」
・「地方の視点が新鮮で貴重」
といった反応が寄せられています。
また、戦争体験を語る本が年々減少するなかで、
・「このタイミングでの出版に感謝したい」
というコメントも見られました。

まとめ
「敗戦八〇年 富山の記憶」は、「戦争とは何か」を地方の視点から静かに、しかし力強く問いかける1冊です。
戦争のリアルを知らない世代が増える今だからこそ、こうした記憶を記録し、共有することが求められています。
80年という時間は、記憶を風化させるには十分すぎる長さです。
しかし、それを繋ぐ本があります。
今こそ「敗戦80年」という言葉に、私たち1人1人が向き合う時なのではないでしょうか。
当記事は以上となります。
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